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英語詞で歌われる邦楽に違和感はあるか?洋楽×邦楽の方程式

夜、テレビのリモコンを手に取り音楽専門チャンネルに一通り目を通す。薄暗い部屋の中でブラウン管が鮮やかに-NFパンチ-という番組を映し出した。僕はその番組に目を奪われていった。

 -NFパンチ-

サカナクションの山口一郎氏と公募で集まった視聴者が毎週様々な音楽の話題を30分間ひたすら論議する番組だ。

サカナクションは北海道出身、5人組ロックバンドだ。2013年にも紅白歌合戦出場している。これはまだ記憶に新しい人も多いだろう。

彼らのパフォーマンスはパソコンに向き合う所から始まる。MacBookを目の前に電子音を生演奏で入れて行くのだ。それはとても先鋭的に。そして新しいテクノロジーを感じさせるように画面に映る。そして後半では楽器のパフォーマンスへと転換する。電子音をしっかりと楽器の下に落とすというパフォーマンスは当時中学生だった僕でも痺れさせた。電子音のみで音楽が作られるようになってきた現代に、淘汰されつつある"うねり"もしくは"ゆらぎ"を感じさせる生演奏やライブを復権させようとしているように見えた。そんな彼らの音楽に日々身を寄せたい。そう評価したいバンドの一つである。

 

そんな彼らのテレビ番組-NFパンチ-ではこんな議題を取り上げていた。

 

 英語詞で歌われる邦楽に

    違和感はあるか?ないか?

 

皆さんは英語詞に対してどのように親しんでいるだろうか?

今日は本番組の内容に即しながらも自分の意見も投影しつつこの記事を書いてみることにする。

まず初めに、違和感を感じるという人の意見をいくつか紹介しようと思う。

 

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違和感を感じるワケ


①カタコト英語

世界に向けて作りたいという発想のもとで全編英語詞で作られた曲は近頃珍しくはない。しかし世界に向けて作ったはずなのに発音が日本的、もしくはカタコトになってしまっているアルバムは何枚もあるそう。(これはアーティストによりけりなのだが。)

これを例に引くならば、曲では発音がいいのに海外ツアーなどのトークでは英語が喋れないパターンが挙げられる。番組で取り上げられていたアンケートでは、カタコトになるよりは客が自分たちに興味があり知ってくれているからこそわざわざ現地の言葉で話さなくても興味を示してくれるというアーティストの意見もあるらしい。

最近ではK-POPグループをテレビで見かけることが多くなってきた。流暢な日本語で歌っていて感動することもしばしばあるのだが、しかし終わった後のトークでは トテモヨイデシタなどのカタコトトークなのだ。さっきの歌は嘘だったの?と思ってしまう時がある。

 

母語の違い

ここでジョーオーウェンの小説1984に出てくるニュースピークを例に出したい

-ニュースピーク-作中の全体主義体制国家が実在の英語をもとにつくった新しい英語である。その目的は、国民の語彙や思考を制限し、党のイデオロギーに反する思想を考えられないようにして、支配を盤石なものにすることである。

 

ここで描かれてあるのは「母語によって思考回路が変わる」というものだ。まさに使う言語が「見える世界」を決めているのだ。それはお互いの文化的な差異から生じる思考の違いである。アメリカ人が外靴を履いたまま自宅の中に入るのが例であるように、各個人の脳で構成されているイメージは国が違えばその色は全く別のモノに変わる。

太宰治が世界で評価されないのもこのワケだ。そう。彼の作品は日本語で書かれているのだ。これは、所謂日本的な「古典感覚」という概念が海外では理解されないことを意味する。かくして彼の作品は異国では大衆的なものには成り得なかった。使う言語によって多少の軋轢が生まれるのも当然のことなのだ。

 

 

 

英語で歌う意味とは

では「英語で歌う意味」とはなんだろうか?

 

①英語は音楽的に有利

僕は歌詞を書く際、英語に助けられることが多い。まず適当な英語でまずリズムを取り、そこから日本語に置き換えて行く。なぜならば英語の方が圧倒的に音楽に有利だからである。16部音符でたたたたとすんなりメロディーに乗ってくれる。一方日本語の場合子音の発音が増えたり、母音がくっついて跳ねたりしてしまうのだ。こう云った技法は多くのミュージシャンも多用すると言われていて音楽を作る上では欠かせない。

 

その概念を覆したのが宇多田ヒカルだ。彼女の歌い方はいわゆる日本的な譜割りを無視して洋楽の様な歌い方で攻めているのである。だからカラオケで歌うのが難しかったりする。それに加え当時浸透しきっていないR&Bのエッセンスをふんだんに楽曲に使用することで新しさや新鮮さが生まれたのだ。その中で度々英語が使用されるのだが、やはりR&BHiphopなどは日本にはもともとないタイプの音楽だったため海外からの影響をモロに受ける。アメリカHiphop日本語ラップに換言する際に、自分の好きなアーティストの名残で英語が参入して来たというワケだ。これは音楽的に安定している「内」の概念から漂泊し新たな価値を見つける「外」の概念へと止揚していった結果と言えるのではないだろうか。

僕は洋楽に対して"新しさ"から入った人間なのでここはとても共感できるところだ。JPOPにはない新しさが洋楽にはあった。それは先ほど述べたようなリズム感や譜割りだったりパフォーマンスの仕方。音の色だって邦楽とは違うものだ。内の音楽を外に求めて領土を拡大していく。見知らぬ外界を領土化するこの様子はまさに革新である。未開拓の土地(ジャンル)が海の向こうにたくさんあったのだ。ここで「歌詞は重要か?」というテーマに触れておきたい。

 

よく友達が言う。「歌詞が分からないのに洋楽よく聞けるね。」と。ある有名な詩人の言葉に「リズムは意味を上回る」というのがある。これはまさしく僕が洋楽を聴いてる時の精神と同じだ。メロディやリズムが良いと自然と人の心に残るのだ。

音楽の起源と言う本の中でこう言った一説がある。

共同生活をする上で、同時に作業をする、ということは欠かせない。例えば同時に力を合わせて石を動かす。そうしたときに、リズムが発生する。これは共同生活を始め、会話をするようになったころには既にあっただろうと推測できるのだ。

つまりは唄よりリズムやメロディーが先に生まれたと言える。そのメロディーが人の心にどれだけ残るか。それが音楽の一番の核なんじゃないかと思う。しかし歌は歴史でも度々言葉を乗せて歌われてきた。時には堕落した生活や世界に警鐘を鳴らしてくれることもある。そう言った面では歌詞が重要ではないなんて言葉は口が裂けても言えない。歌詞が重要か否かは一概には言えないが、音楽の核がメロディーにあると考えてもらえれば「歌詞が分からなくても洋楽を聴く」理由も分かってもらえるのではないだろうか。

 

 

 

②英語でしか表せない感覚 

 

英語でしか表現できない感覚があるからという理由もある。日本語だと固すぎるから英語にしようなんていうシチュエーションは日常でも少なくないだろう。

ここであなたが作詞をするとしよう。歌詞の中にいたずらな女性を登場させたいと思った時、どのように書くだろうか?

「bad girl」?「悪い女」?

前者は後者よりもクリアに聞こえると思う。欧米風の女性をイメージすることもできるかもしれない。さらには「bad girl」のほうが音数が少なくて使いやすい。「悪い女」だと日本的に、もしくはふしだらな感じにも思えるかもしれない。このように日本語とは違った英語の表現は歌詞を書く上で重要な要素だといえる。

 

 


 

 

 

日本語➡️英語のプロセスの鍵

英語は日本語以上に多くの内部から解釈が取れる言葉だと番組内でも取り上げられていた。

「外国の著書を日本語に訳す時、翻訳家によって訳が全然違ったりすることがある。演説などを訳す時はその人のキャラに合わせて変換したりする。例えばトランプ氏の演説を日本語にする時、メディアによって酷い解釈で翻訳してあったりしているのが問題になっているよね。それはトランプ氏っていうキャラに合わせて翻訳する。人によって翻訳の仕方が違ってくるんだ」

日本語から英語。それの逆もまた然り、意味がイコールになることはなかなか難しい。これは文化的なものだとか、感覚の違いで。これは内部的な言語態を変容させ外部に漂泊する運動だ。これはエキゾティシズムをそそる。邦楽に英語詞を取り入れることは単に外国への憧憬だけではなく、外の言語を運び入れて内の言語に変革をもたらす。もちろん意味の解体のギリギリ手前までだ 。意味の解体が進みすぎるならば、伝えたいことそれ自体が崩壊してしまうからだ。

全編英語詞で歌われてる曲を聞くと何か物足りなくて、歌詞カードが欲しくなる。これは、邦楽を聞いているはずなのに、日本語という言語態が解体されすぎて基本的な意味を掴めないというギャップがここに生じるからだ。

この”意味のギリギリまで”が英語詞で歌われる邦楽の重要なキーワードなのかもしれない 。 

 

 

 

 英語詞を用いるこの変容が一番のソルト

「内」から「外」へのこの変容に面白味があるのではないだろうか。

例えば、[Alexandros]やTheBowdies、DYGLなど。彼らはそれなりのスキルでJ-POP、邦ロックという枠組みに洋楽の新しさや良さを上手く落とし入れてる。

母語ではない言葉を使うことは思考回路が違うこともあって難しいことなのかもしれない。しかし英語や他の言語を用いることによって聴き手にいろんな世界を見させる事ができる。それによってドメスティックだった音楽の世界をより俯瞰的に見ることができる。また、言語を超えてもっと多くの人に音楽を届けることができる。英語詞はそれを為すための新たな手段なのかもしれない。

 

自分の見える世界を超え、自分の意見や音楽を別次元の世界に位置付けることは容易ではない。それゆえ、重要な市場にばかり目が固定され、他の市場を開拓することに気にも掛けない。特にリアルやバーチャリティーでも常に監視の目にさらされ、同調圧力を生きる現代人とってはこの開拓する作業が難しい。しかし、これを為すことこそが人間的深みや知性を向上させていく本質だと思う。 

英語詞で歌われる邦楽はそれを放棄してしまった人々に様々な開拓するツールを与えるだろう。

日本語詞に英語を取り入れるこのやり方に少しは首肯できるようになっていただけただろうか?

 

 

 

本気ならいいじゃん

さぁ、ここまで来ると英語詞で歌われる邦楽に対する違和感の正体がわかってきたのではないだろうか?

日本語詞に英語を足していくメソッドが理解できたならば答えは明白。

その英語詞が本気か否か。じゃないだろうか。

英語の方がかっこいいからノリでとか、リズムがいいからとか。そうやって作られる音楽はすぐにわかる。それでイケてるバンドとイケてないバンドの大きな差異が生まれるのではないだろうか。自分たちの本気を聞き手にどう伝えるかが作り手の一番の核なのだ。

 

以前のものとは全く別の、より流動的になった今の音楽のシーンでこれは難しい。

そして誰もが夢見た音楽で億万長者になること。これは泡となって弾けた。

確かに、音楽が水道のような公共サービスになりつつある状況だ。しかし本気で音楽をやり続けるアーティストは僕にとっての希望なのだ。

それが英語詞であれ日本語詞であれ、アーティストに対して僕が抱く憧憬は変わりはしない。たくさんの音楽や文化がアーカイブ化していく現代では、一日に何曲も斜めに聴きあさる。しかしその分だけ新しいモノに出会える。

この文化は21世紀初頭を生きる僕たちデジタルエイジにとって大きな財産だ。

 

 

 

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おっかー

高校生です。ここまで読んでくれてありがとうございます!

言葉を文字にするが好きで始めました。映画はデビットフィンチャーの作品が好きです!

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