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遠藤周作”沈黙”の舞台となった長崎へ | 僕の修学旅行

僕らが修学旅行で訪れた長崎は想像を超えるほどに良かった。

長崎の夜景。カステラ。ゆったりとした空気感。優しい九州の人たち。

 

九州に行こうと決まったのは出発の半年前ほど。最初は沖縄に票が集まっていたが、「どうせ行ったことがない九州行こうぜ!!」みたいな感じになって九州が逆転勝ち!

とは言ったものの、九州と言われてパッとイメージできるものは。。ちゃんぽん?ハウステンボス?他に何かあったっけ?皆そんな感じだった。

 

しかし、いざ行ってみると僕は九州という土地に夢中になっていた。

今日はそんな僕の修学旅行の話。

 

 

 

僕の修学旅行日記

 

遠藤周作"沈黙"の舞台・長崎

 遠藤周作"沈黙"皆さんはご存知だろうか?

最近、映像化もされて何かと話題になっていますよね。

自分はもともと小説を読まない人間だったが、ブログを書くにあたっていろんな人の文を読もう!と。そこで購入したのが"沈黙"。その時ヤフーショッピングでは1位。レビューも見ずに即買い。

読み進めると、まさかの”沈黙”の舞台は長崎。とりあえず買った本が自分の修学旅行の行き先・九州にまつわる話だなんてびっくり。こんな偶然もあるもんだなぁ。"沈黙"は出発の半年前に買っていたが、出発までまだ読み終わっておらず・・飛行機で読もうと思って修学旅行に持っていくことにした。

 

 

僕はクリスチャンでも、仏教徒でもない。葬式は仏教だった気がする。。。この程度だ。一応キリスト教についての知識は少しだけ入れてはいるつもりだが、教会に行ったこともなく、聖書すら読んだことがない。

そんな僕でも”沈黙”は読むことができた。

島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。                                       -沈黙-紹介文

 

本書の中で描かれるバイオレンスな拷問などは読んでて目を瞑りたくなるほどだ。

神、自分の信念との葛藤、壮絶な日本での布教活動、などなど深いテーマと共に展開していく。気づくと半分以上読み終わっていた。

 

そんな中、修学旅行1日目は民泊だった。

 

民泊。。誰かの家に泊まるなんて最初は不安だった。いや不安だらけだ。

でも違った。民泊のお父さん、お母さんは僕たちを快く迎え入れてくれた。

コンビニは車で10分。周りは一面の畑。僕にとっては新鮮さしかなかった。

ご飯は美味しくて、みんなで囲む食卓は最高だった。一日がこんなに短く感じたことは他になかったぐらいだ。

そんな民泊のお父さんに"沈黙"について聞いてみた。

バスの道中、長崎の街には東京では見慣れない教会やカトリックの学校(プロテスタントしか見たことなかった)がたくさん。そんな長崎に僕は興味津々だった。

 

沈黙読んだことありますか?とお父さんに聞いたところ、読んだことはもちろん、遠藤周作の講演会にも行ったそう。

 

民泊のお父さんから聞いた話は、東京のテレビキャスターやインターネットに書いてあることよりも数十倍魅力的だった。

 このブログのことも話したら、すごい!と言ってくれた。。本当に嬉しかった。。。(本当にありがとうございました!コメントもありがとうございます!)

 

 

 

あの夜がまた来ないかなぁ。あのまま永遠と夜が続いたらよかったのに。

 

 

そんなことを考えていたら、僕たちはぐっすり眠ってしまったようだ。

 

 

 

 

 

 

僕たちが踏み入れたリアル

2日目、3日目は原爆資料館と自由行動。

 

原爆資料館では、胸を締め付けるような展示物が広がっていた。

僕は隅々まで目を通した。展示されている資料と説明を全てを見る勢いで。(一生懸命に見過ぎてこの後の記憶がない。。。)

教科書では伝わらないリアルがそこにはあった。 

 

3日目は自由行動。その時僕は初めて教会に入った。大浦天主堂だ。

沈黙で描かれていた、キリスト教迫害や日本での困難な布教。キチジロウやロドリゴの声が今にも聞こえてきそうだった。

教科書では伝わらないリアルがそこにはあった。 

 

民泊のお父さんの話もそうだ。やっぱり行かなきゃわからないかもしれない。

今の時代は便利だ。インターネットの掲示板やサイトでなんでも情報が手に入る。もちろん九州のことも。

でもそれは右から左へ流れてしまうんだ。あっという間になくなる。

でも民泊のお父さんのお話や資料館の展示物は胸に刻まれて深く残ってる。

 

そこにあるリアルに触れる。簡単なようで意外と難しいことかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

0と1に引き裂かれていくデジタル・エイジ

転ぶ者、教えを信じて殉職する者。

強い者と弱い者。

 

ロドリゴは弱い者だったかもしれない。

弱い者であったとしても、生きてきた意味・人生に意味があるのなら、それはどういうことか。深いテーマで進行していく沈黙。気づけば終盤だった。

 

信者がいるならもちろん背教者もいるだろう。でも後者にはスポットを当てられることはほとんどない。

陽と陰、光と影、好きと嫌い、ストレートとゲイ、肉体と精神、偽物と本物。0と1のように僕たちは引き裂かれていく。それはツイッターのアカウントを複数作ったり、自分のキャラクターをコロコロ変えていくように。

ツイッターやLINE、FaceBookの返事の相手。ブログだったら読み手。そうやって、いつも誰かを意識している。自分一人の時間を作ることは、今の時代では難しいことかもしれない。それはアーキテクチャーの奴隷か。そう思うほどだ。

 

僕たちの世代はデジタルエイジと呼べるかもしれない。

そうやって、引き裂かれていく。そしてまた再結合する。

そう。僕たちの生は一つではないんだ。凹凸を残して結合する。

 

光と影。いつだって世界は二面性にあふれている。

光ばかりに焦点を当てられる現代で後者はマイノリティーな存在かもしれない。

沈黙ではそのマイノリティーという存在の意味を深く掘り下げている。

人はたくさんの運命を生きられない。遠藤周作がそう僕に語りかけてきた気がする。

ロドリゴは転んだ。それは運命だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

優しい民泊の方と出会って"沈黙"の話をした。それは僕にとって最高の運命だった。

 

いろんなリアリティが排気ガスで腐った僕の脳に染み込んでいった。

 

大学受験、就活で肩身が狭くなった時またこの修学旅行のことを思い出すかもしれない。

 

その時はきっとこの思い出が僕の背中を押してくれるだろう。

 

 

おっかー

高校生です。ここまで読んでくれてありがとうございます。本当に最高の修学旅行でした。いろんなことを考えさせられました。本当に実のある旅でした!

言葉を文字にするが好きで始めました。映画はデビットフィンチャーの作品が好きです。